【両親との付き合い方】父はモラハラ、母はヒステリーだった。

人付き合い
古民家風のカフェでランチ:1,980円(税込)

みおつくしです。今日も今日とて、資産形成と豊かな暮らしを求めて奮闘しています。

さて、昨日は久方ぶりに父と会いました。お昼は外食で、野菜・小鉢もりもりのカフェに行きました。

私の父と母は離婚していますが、離婚後も一緒に住んでいました。

現在、父は九州で親戚の手伝いをしていて、母は関西の実家で双子の兄の一人と住んでいます。もう一人の兄は東京住まいです。そして末っ子の私は九州。

家族散り散りになっている中、私は時々考えます。あと何回、父と母に会えるのか。

一生のうち父と母に会える回数

厚生労働省が出している、令和4年度の「平均寿命と健康寿命の推移」によると、女性の平均寿命は約87歳で男性は81歳でした。

/https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/21/backdata/01-02-01-01.html

1年のうち、父・母と私が実家に集まるのはGW・お盆・年末年始の各5日×3回 = 15日ほどです。

仮に父と母が平均寿命まで生きるとして、父:65歳、母:63歳なので

  • 父と会える日数:81(歳) – 65(歳) = 16(年) × 15(日) = 240日
  • 父と会える日数:87(歳) – 63(歳) = 24(年) × 15(日) = 360日

両方とも、日数に直すと1年未満でした。あまりにも短いです。

普通の定義。たぶん、父はモラハラ、母はヒステリーだった

両親に会える日数が1年未満と分かったけれど、正直に言うとそこまで残念じゃないです。

何故なら、私はそこまで両親のことが好きではないから。今でこそ鳴りを潜めているけど、父は母に対してモラハラだったし、母は過保護でヒステリーだった。

それぞれエピソードを挙げると、

父は大手銀行員で、「母(保険の営業職)より俺のほうがずっと難しい仕事をしているんだ」と口癖のように言っていた。私や兄はいじめにあっていたことがありますが、そのことを挙げて母に「お前の教育が悪いからだ」と言っていた。食事やお風呂の時間以外は部屋から出て来ず、家族間の会話はほとんどありませんでした。その結果、兄からは嫌われ話しかけた事に対する返事をもらえていませんし、母とは最終的に離婚しました。

母は母で、兄妹それぞれに対して過保護でした。SECOMの端末でどこにいるか把握していないと、大声を出すわ半狂乱で探すわ迷惑でした。しかも、自分の思い通りにならないとヒステリーを起こす質です。兄に対しては湯水のようにお金を使い、何を買うにせよ一番良いモデルを与えていました。私に対しても同じようにしてくれれば不満もありませんでしたが、「あんたはしっかりしているから」と兄ばかり優遇していました。

母に対しては、父にモラハラまがいの事をされていた事実もあり同情していますが、それでも心から好きとは言えないです。

今でも母は父の事を嫌っているし、父は家族との関係性が希薄な事を今更悔やんでいました。これはどこの家庭でも起こっていて、ブログに書くようなことでもない?私は、未だに両親があまり好きではないのです。「普通」の定義が分からない。

今後の両親との付き合い方

結論から言うと、上司のようなものと考えて接していきます。

両親と会う日数が増えることはない、きっと会える日数は1年未満のまま。

だって、会いたいと心から思えないんだもの。自分に嘘はつけない。

なぜ、上司と思うようにしたかというと、上司との関係性って

  • 感情を剝き出しにしようとしない。それは悪手の事が多い。
  • たまに、良い正論を与えてくれる(求めていない時もある)
  • いつも一緒ではないけれど、時々飲みに行く

と、なんだか近しい感じがしたからです。

正解は分からないし、たぶん無いけれど、これが私にとっての最適解です。いつか関係性が大きく変わる日って来るのかな。

では、また。

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